高岡万葉まつり 万葉集全20巻朗唱の会 平野啓子 長歌1首(886)
10月4日(金)
高岡万葉まつり 万葉集全20巻朗唱の会
平野啓子 長歌1首(886)
平野啓子/中村かおり(887,888、889、890、891)
山上憶良が、若くして夭折した肥後国益城群出身の大伴熊凝(おおとものくまごり)の気持ちを推し量って詠んだ歌 長歌一首と短歌五首 を門華の中村かおりと朗誦
その時代、毎年、7月に奈良の都で相撲の興行が行われていた。そのため、2、3月ごろから、国府の役人で相撲使(すまいのつかい)が、力士を集めに諸国を周り、奈良に向うのであった。熊懲(くまごり)は、天平三年六月十七日、十八歳のとき、相撲使の国府の役人某の従者となって奈良の都に向かった。が、旅の途中で病になってしまった。皆は職務を果たすために熊凝を置いて先に行く。熊凝は、道中の安芸の国佐伯群の高庭(たかはし)の宿駅で、仲間に看取られることもなく息を引き取ったのである。
「奈良の都に行くことに胸を高鳴らせて意気揚々と向って行ったにもかかわらず、自分はこのようなことになってしまった。このまま自分はここで死んでしまうのか。もし、故郷にいたならば、父が看病してくれるだろうに、家にいたならば、母が看病してくれるだろうに…」
という、なんとも言えず、切々とした気持ちが伝わる歌。
真夜中1時半の古城公園の特設舞台から池の向こう岸に向かって朗誦した。高橋市長より、池の水面を声が滑ると事前に聞いていましたが、まさに、声が水面の上を伝って、前面に広がり、園内に響き渡っていくのでした。
朗誦後、園内の歌の内容がしみじみと伝わったと声をかけられました。
憶良は、弱きもの、小さきものに目を向けた歌を詠んでいますが、この大伴熊凝の歌はまさに、無念の熊凝の遺言ともいえる気持ちが詠まれていて、胸を打ちます。ちなみに、歌は、参加者が選ぶことはできず、主催者で決めます。私は、震災後、熊本を何度も訪れておりましたので、これも何かの縁か、はたまた運命か、見えない何かから、「あなたこれを朗誦せよ」と、導かれたようにも思いました。
令和元年、第三十回を迎えた記念すべき朗誦の会で、この歌を朗誦できて良かったと思いました。
朗誦に際し、高橋市長、担当職員、万葉歴史館館長より、この朗誦の会に寄せる思いや、歌のことをたくさんお聴きいたしました。心より申し上げます。
於:高岡古城公園特設水上ステージ
取材を兼ね、大伴家持ゆかりの富山県・高岡で開催の「万葉集全20巻朗唱の会」に強い意志を持って参加、古城公園で朗唱してまいりました。(なんと、出番は真夜中の1時!)。万葉集の研究家としても知られる中西進先生や万葉歴史館館長坂本信幸先生に直接お会いし、ご講演も伺い、そこから得た“万葉集を楽しむ”をモットーに雅楽師の故芝祐靖先生に教えていただいた古代フリーリズムを取り入れて、朗誦しました。